仏事の知識Q&A
仏事にまつわる世間の常識と考え方
Q.1 / 法事の挨拶はどうすればいいの?
(挨拶例)
皆様、本日はお忙しい中を故人の為に多くのご参会を頂き誠にありがとうございます。
おかげさまで、○○忌を迎えることができました。
本日は生前親しくして頂いた皆様とご-緒でき○○もさぞかし喜んでいることと存じます。
ささやかではございますが、食事の用意をさせていただきました。
ごゆっくりとお過ごし下さいます様、お礼を添えてご挨拶申し上げます。
本日はありがとうございました。
(司会を代行する場合)
皆様、本日は施主様、ご家族様のご配慮でお食事のご用意をさせていただきました。
どうぞ、故人様の思い出などを語り合いながらごゆっくりとお過ごし下さい。
(挨拶のタイミング)
お客様が全員席に着かれたら、施主とご家族を末席にご案内し、挨拶をしてもらいます。(お経が終わり移動される間に挨拶される方を聞いておきます)
お経のときに挨拶を済ませられた場合でも、会食の始まりがだらだらとならないよう
施主のみ末席にご案内して一言挨拶をお願い致します。
(献杯)
献杯をする人がいる場合は、施主から案内してもらいます。
司会進行をお願いされた場合は献杯者には前に出てきていただき、全員に祭壇または遺影のほうを向いてもらいます。
Q.2 / 法事の招待客の範囲はどこまで?
忌明には葬儀と同じく、故人の最後の儀式という性格も含まれています。
葬儀は惜別の儀式、忌明は仏になる儀式と言われています。
よって、近い友人、生前に親しくお世話になった職場の代表も含まれてきます。親族にあっては嫁の親、施主の従兄弟の範囲に及ぶものです。いわゆる家門をあげて送るという意味になります。
年忌供養は、残された家族、親族が回向することにより仏の慈悲を振り向けるという、いわば残された者の修行の場になるという事です。
よって年回忌は、家族、故人の兄弟を主とした供養が一般的になります。しかし一周忌までは、故人の思い出が深い友人も参列する場合が多いものです。その後は、家族と故人の兄弟を中心に法要が続けられるのが普通です。
Q.3 / 席順の作り方を教えて!(決まりはあるの?)
本来、仏法の考え方から言えば、人は皆平等であり、上下貴賎の区別(上下の考え、偉いと言う考え、お金持ちと言う考え)はありません。
よって、仏の世界では、戒名も法名は2文字と決められています。これに沿って考えるならば、席の順序も必要のないものと思われます。 しかし、日本は長い歴史の中で、神道思想、儒教思想、仏教思想が複雑に絡み合い「和の考え」という日本独特の礼儀の文化が生まれており、この文化思想が自然に身につき、譲り合いや謙遜、控えめな行動といった振る舞いを美徳として無意識のうちに動作や言葉に表れてきています。
現実の場では、お互いに譲り合いなかなか席に着かなかったりという状況ですので、お客様へのご案内や気遣いという「礼儀の心」からしても、席を決めてお勧めすることは、互いに相手の意を汲み取り従うという、これもまた日本独特の意思疎通の文化的な考えなのです。 上座に座る人は謙遜の心を持ち、下座に座る人も自分の立場を受け止める礼儀の心を抱くという日本にしかない文化ということになります。
※具体的な席の考え方
基本的事項
- (1)部屋の奥、床の間の前、掛け軸の前、仏壇の前というその部屋の全体を-望できる位置が上座ということです。
- (2)下座とは、その部屋の入口に-番近い位置ということです。
【考え方】
- 行事の主旨に対し、お世話になった方が上、お礼を述べる側が下
- 長老、年配者が上、年下若い者が下
- 来賓が上、主催が下
- 家族が下、身内、親族、外戚、縁者、他人(来賓)と上になる
家族→兄弟→叔父、叔母、伯父、伯母→父方の親族 →母方の親族→縁者→他人
Q.4 / お寺様のお布施について
「お布施」とは仏事一般で「自分にできることを他人のためにしてあげる」ということが本来の意味です。いわゆる布施業のことで、ものをあげる事を「財施」行動や考え方などによって相手につくす事を「無財施」といいます。
一般的に「お布施」とはお寺様への御礼と考えられています。しかし、本来の意味から考えるならば、「大事なありがたい仏法を多くの人に広め、人々を救う仕事をするためにお使い下さい」という意味で、「私ができる気持ちです」ということです。
こういうことから、一般的に「お布施」はお寺様へのお礼という認識になっています。
ですから、「お布施」は仏事一般のお寺様への「ご供養」と考えるべきです。
Q.5 / お布施の金額の目安は?
お参りにお寺様が来られた場合、お布施の金額は?といっても決まりはないのが現実です。その家庭の状況から「お布施」本来の意をくみとり「まごころ」を表すことになります。
但し、戒名や法制に特別の称号を頂いたり、お寺の格式により多少の違いはでてくるのも自然のありようと思われます。
ちなみに、葬儀は10万~50万、忌明は5万~10万、年忌は2万~5万、盆・月参りは5千~1万が、-般的な状況と思われます。
また、お経に来られるお坊さんが複数の場合のお礼の目安は、同伴のお坊さんは-般的に「伴僧さん」と言い、住職の「半分」を分けるというのが一般的です。
(※金額等は寺院や地域の習慣によって異なりますので、別途ご確認ください)
Q.6 / 仏事の案内は返信を求めない訳
村八分という言葉がありますが、この言葉の意味には村二分という言葉が含まれています。
つまり、日頃のお付き合いはしないがお葬式だけは参加して手を合わせるということです。
ですから、仏事の連絡が来たら何をさておき駆けつけるということです。施主は当然案内を出した人は皆来るという判断になります。
また、仏事は「駆けつける」という考えがあり、断ることは失礼・非情という判断です。
その代わり祝いは断ってもせっかくの慶びを少しもらい損ねたという自分の責任という考えから、往復はがきで出欠を取ると言う考えです。
しかし、来る事が前提であっても、差し出す方の気遣いとして、誰でもやたらに案内を出すことは控えることになります。親族身内を中心に、故人との思い出が深い関係の方に留めるのも常識の範囲ということです。
Q.7 / 香典返しの受け取り御礼はしない訳
一般的にお中元、お歳暮‥様々なお祝い事を含め、商品や記念の品物を頂くと、御礼の挨拶をするのが常織といわれております。
しかし、仏事の香典返しに関しては「お礼を控える」のが常識とされています。
この考えは、本来人が亡くなることは悲しく残念なことで、できればそうあってほしくないことですから、頂きたくない品物という事なのです。品物により悲しみが増すということで、そっとしておくという日本独特の考え方です。
しかし、最近は世代も交代し、お礼の連絡(ありがとう)という言葉ではなく「届きました、元気を出してください、応援します」という意味の言葉をかけた連絡をする方も増えています。これは、費用が掛かっているという金銭感覚の中からくるけじめという、これもまた日本独特の誠実さからきています。
Q8 / 入院死亡のお礼の仕方は?
入院したまま亡くなられた場合、原則として「お見舞い」と「香典返し」の意味は異なっていますので、それぞれに別に考えるのが本来の見方です。
対応のポイントは、葬儀、忌明の参列に順ずる人は「香典返し」に合わせても良いと思われます。その場合はお見舞いに対するお礼の言葉も添えられると良いでしょう。
しかし、日頃の付き合いの方々の「お見舞い」に対しては、一度お礼として忌明け前に挨拶するのが道義的な考えといえます。その後、香典に対して忌明けに当り「香典返し」を行なうべきといえます。
Q.9 / なぜ宗派があるのですか?
仏教のもともとはお釈迦様の悟りから成り立っているわけです。仏教=釈迦として1つと考えるのはもっともな事といえます。ここで、釈迦の教え、すなわちお経の成り立ちから考えてみると、釈迦は説法という形で人々の痛苦や社会を語っていったわけで、文字や形として残していったわけではなく、釈迦が亡くなった後、弟子たちが記録として書き上げていったものが仏典結集と呼ばれる「お経」の始まりです。ですからお経の多くは「如是我聞とか我聞如是」(私はこのように聞いた)という文句から始まっているわけです。
その後、弟子たちがそれぞれに研究し残していったものを含めて「お経」と呼ばれています。それと同時に、その修行のあり方が研究されていったことが宗派として形作られて行くわけです。
お経と呼ばれるすべてが、釈迦自ら説いたわけではありません。弟子たちが決め事を作り守った律や、それぞれの理論なども含まれ、弟子が釈迦の言葉を掘り下げ論じていく中で、開祖、宗祖として新しく展開された考え方があり、これらのすべてを総じてお経と呼び、派として分かれていったものを宗派と呼んでいるわけです。
Q.10 / 喪中とはどんなことですか?
身近な肉親を亡くし、故人の冥福を祈ると共に、死の忌みのため「喪屋」に篭って日常生活から遠ざかって生活するという風習を「忌服」といいます。
忌とは、身を慎むということで、服は喪服をつけるということです。
この忌服の期間を「喪中」といいます。この期間はお祝い事や華やかな催しは避けるようにするということです。